いつものことが当たり前ではない
いつも見聞きしていることが当たり前ではないことを理解する必要性について。
あえて言うなら京都アニメーションの作品である氷菓の「人の気も知らないで」の一言に近いことかもしれない。意味は逆ですが。
私はあまり見ませんが、フリースタイル大会に出場していた、とあるラッパーの立ち振る舞いをみて感激しました。
相手をDis(悪口)った直後に舌をアインシュタインの様に出して笑ったんです。
すごく調子の良い一戦だったようで、両者の言葉の聴き心地が良かったのも相まり、シーンは目に焼きつきました。
感激したのは、だいぶ後のことで、、、
皆さんは舌を普段から人前で目一杯出すでしょうか。
私は出していませんでした。
これに気づいて、なぜ彼が舌を出せたのか、そして彼は手振り身振りをどのように身につけたのかを考えました。
フリースタイルは即興という意味で、彼らはどうやら普段から仲間で円陣を作り、即興ラップを披露しているようです。
その中で舌を出した彼は、即興という「嘘を思いつく間もない」時間を生きた結果、「自分という存在」をはっきり認識することに成功しているのではないかと私は考えたわけです。
舌を全部見せるほどのわんぱくな表情は、普段から彼が、自信をもって、彼自身の楽しみを、そのような振る舞いで感じていることになる。
一見ステージ上でのパフォーマンスに見えるが、実際は彼自身のためにある態度だったわけです。
だからその行為に対する観客の反応は「素晴らしいパフォーマンス」ではなく「かっこいい人」となるのではないかな。